メル・ギブソン監督の「アポカリプト」という映画を見ました。
マヤ文明が栄える中央アメリカが舞台で、生贄(いけにえ)にされそうになった捕虜の脱走と生き残りを掛けた逃走を描いています。
平穏な生活を営む狩猟民族の集落を、ある日突然マヤ帝国の部隊が急襲します。
『アポカリプト』は生贄のシーンが恐ろしい!
成人の男女は子供と引き離されて拉致連行されていきます。子供たちは途中まで「お母ちゃ~ん」と泣きながら母親の後についてこうとします。不憫(ふびん)でなりません。
目的地までの長い過酷な道のりを手枷首枷(てかせくびかせ)で歩かされるのですが、この時点では自分たちが何の目的で連れていかれるのかわかりません。女はだいたいの検討はつきますが、男はせいぜい重労働でもさせられるのだろうと思ってた私が甘かった。
たどり着いたマヤの都で主人公たちは、ピラミッドなどの見たことのないような先進的な文明に驚きます。
連行された女たちはさっそく市場で競売にかけられ売られていきます。自分たちの妻たちが売られていく姿を目の当たりにしますが、もうどうすることもできません。何ともいえない歯がゆさ、悔しさを感じます。
そして男たちも連行された理由が徐々に明らかになっていきます。
ピラミッドに続く建物の中を歩かされているとき、壁画を目にします。
その壁画には、はらわたをえぐられ、首を切られる捕虜たちの様子が描かれているのでした。
恐怖感がどんどん増していきますが、ピラミッドの頂上に連れていかれたときに恐怖感は絶望感に変わります。そこでは、先ほど見た壁画どおりの残虐行為が実際に行われていたのですから。
そう、連行された男たちは神に捧げる生贄だったのです。
台の上に仰向けに押さえつけられた捕虜は、腹を切り裂かれ心臓を取り出されます。切り落とされた首は、歓喜にわく民衆に向かって投げ落とされます。
民衆は誰が首をキャッチするかのゲームを興じているようです。ピラミッドの階段を転がり落ちる胴体。下では首なし死体が山のように重なっています。
主人公の友人が先に殺され、ついに自分の番が回ってきたとき偶然に偶然が重なり辛くも逃げ出すことに成功した主人公。だが部族たちは執拗に追いかけてきます。
弓や槍を持った筋肉隆々で獰猛な未開民族が追いかけてくるってメチャメチャ怖いですよ。心の中で「逃げろ!逃げろ!」と叫んでしまいました。手に汗握ります。
逃げるいっぽうだった主人公は途中から反撃に転じ、追手を一人づづ殺していきます。シルベスター・スタローンの『ランボー』を彷彿とさせます。
親玉も殺すことに成功し、8人いた追手も残る2人だけになりましたが、浜辺で力尽きる主人公。しかしまたもや奇跡が。スペイン人の船に圧倒された追手の隙を突いて逃げおおせることに成功するのです。
この後、栄華を誇っていた残虐なマヤ帝国がより高度な文明をもつスペイン帝国に滅ぼされることは歴史から明らかです。盛者必衰を暗示しているようです。
マヤの生贄の儀式は本当にあったのか?
本来精神性を重んずるマヤ人は、最初の頃は生贄の儀式などおこなっていなかったことが遺跡の発掘より見られます。
ところが、好戦的な種族トルテカ人がやってきた頃から生贄の儀式がおこなわれるようになったらしい。
彼らは夕方に太陽が沈みことを大変恐れていました。沈んだ太陽が夜の間に邪悪なエネルギーを蓄えて朝日となって昇ると信じていたのです。生贄の心臓を太陽に捧げることで太陽を清めようとしたのです。
『アポカリプト』でも日食に民衆が恐れおののくシーンが描かれていましたね。
マヤ文明後期になると毎日のように生贄の儀式がおこなわれるようになりました。
ある時には、一度に数万の奴隷に対して生贄の行為を行いました。ピラミッドまでに並ぶ列は3㎞にもおよび、全部終わるまで4日間も要したそうです。
以上、映画『アポカリプト』の紹介でした。
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